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SHERE THE Real

2018 SPRING

青井 茂株式会社アトム 代表取締役

仕事は、私欲と夢の塊だ

働くことを面白くする方程式とは、(1%の運+99%の縁)×夢である。

『24時間戦えますか』というフレーズとともに、黄色いラベルの栄養ドリンクが流行ったのは、約30年前だ。CMでは残業疲れのサラリーマンが、道を歩けば銅像にぶつかり、電車に乗れば降り損ね、ゴミの代わりにカバンを捨てた。多少の脚色はあったとしても実際、当時の山手線は毎朝そんなサラリーマンを大量に運んでいたし、金曜日の夜になれば、有楽町や新橋のガード下は夢を語り、くだを巻くスーツ姿の男性で溢れていた。あれから30年。スマホやPCは瞬く間に進化して、日本人の生活は大きく変わった。今でもどうして山手線の混雑だけがあの頃のままなのかと、とても不思議だ。

僕は20代の前半、コンサルティングファームで働いていた。祖父は月賦百貨店の丸井を創業したが、周囲から跡を継ぐことを指示されたことはなかったし、僕にもそのつもりはなかった。会社ではとにかく必死に働いた。業務に関係のある新聞記事を切り取ってコピーすることから1日が始まって、会議ではほとんどわからない業界用語に頭を抱えた。でも、ハナキンに飲むビールが最高においしかったのは、今でもよく覚えている。その後、官製ファンドの事業再生会社に転職し、ここでも昼夜なく働いた。徹夜も当たり前だったけれど、もの凄く楽しかったのはなぜだろう。くだらないことやバカバカしいことは山ほどあった。横車を押すような無理難題をふっかけられることもあった。それでもみんなで頭を付き合わせ、愚痴を言いながらも必死にアイデアをひねり出すことは楽しかったのだ。

そんな中、30代のある日、僕は草野球の試合中に大怪我をした。何度も手術を繰り返し、1年以上松葉杖の生活を余儀無くされた。働くことも出来ず、毎日自宅で過ごすしかなかった。Amazonだけが友達で、毎日配送されてくる本が僕と外の世界を繋いだ。絵本から文学作品、更には図鑑までなんでも読んだが、不思議なことにビジネス書はまったく手にしなかった。怪我が少しずつよくなるにつれて、僕の心も前向きになってきた。治ったら、どんな仕事をしてどんな風に生きようか。それまでは目の前にあることを、とにかく一所懸命こなすことしかできなかった僕が、これからどう歩み、どう人生を終えるのか、考えるようになったのだ。

10代のときに読んで以来、たまたま手にした祖父の伝記がきっかけで、僕は祖父が創業した会社のひとつであるアトムに入った。不動産事業は経験がなかったが、これまでの社会人としての経験は確実に役立った。何より、祖父のDNAが受け継がれたこの会社で、祖父を感じながら働くことは、想像以上に責任があり、刺激的だった。祖父は日本初のクレジットカードを発行したが、その背景には顧客への信頼があった。商売を拡大することで、頑張ってくれている社員に報いたいという気持ちもあっただろう。とにかく祖父は、相手が社員でもライバルでも周りを大事にする性格で、まさに「男から愛される男」だったのだ。僕が生まれる前に祖父は他界したので、残念ながら会ったことはない。だが、仕事で悩んだら、「祖父ならどうするだろう」と考えるのが、今では僕の習慣だ。

祖父が働いていた頃と今では、社会の構造はまったく違う。人々のライフスタイルも流行も価値観も、何ひとつ同じではない。世の中は常に変化していて、インフラもIT環境も整った。街も経済も社会のルールも、ひとまずは及第点まで到達した。だが、祖父の時代にあって、現代にないものがあるとしたら、それはたぶん「夢」だと思う。祖父の時代は、戦後の焼け野原からの復興期で、誰もが強い日本を目指してがむしゃらに働いた。いわばそれが全員共通の夢だったからだ。だが僕らの時代には、すでに目指すべき日本は確立されてしまっている。ITの発達により、個人の視点はものすごく近眼的になり、視野は急速に狭くなった。昨日の常識が今日覆されるかもしれない不安定な現在では、未来を描くことも難しい。しかしこんな時代だからこそ、人は夢を持つべきだ。青臭いかもしれないが、堂々と夢を語れない世界では、僕らはきっと行き詰まる。人は誰でも暗闇の前では足がすくむ。だがそこに夢という光がさせば、おのずと足は進むのだ。

団塊とか、バブルとか、ゆとりとか、さまざまな言葉で僕らは世代ごとに分断される。社会では個人主義が尊重されて、利己的な個人、あるいは匿名的な集団が急激に力を持った。しかし本来、世代が変われば趣向や思考は違って当然で、出会いという化学反応こそ、世の中を変えていく起爆剤になるのだと思う。人生の中で、親しく会話をする人と出会う確率は2千400万分の1、友人と呼べる人と出会う確率は2億4千万分の1と言われるくらい、人の縁は天文学的な数字によってドラマ化される。その縁を逃さず育てるために必要なことは、自分の「旗」を掲げること。「僕にはこんな夢がある。こんな生き方がしたいんだ」と書いた旗を振れば、必ずそれに共感する人が集まってくる。反対に、僕が誰かの旗を見つけ、その人の挑戦する意欲に共感して声をかけることもある。実際、僕がオーナーを務めるコートヤードHIROOは、そういう人たちの集合体だ。僕はそんな風にあちこちで旗が振られ、互いに引き寄せあう世の中こそ、本物の個人主義が浸透した社会だと思う。

『24時間戦えますか』の時代は、すでに遠い。私生活を犠牲にして、闇雲に働くことは決して良いわけじゃない。けれど、みんなで頭を並べ、ああだこうだ言いながら仕事に没頭するのは、間違いなく楽しい。考えてみれば僕が20代の頃、過酷な労働の中でも仕事が楽しくて仕方なかったのは、自分の中で、わずかでも夢を描くことができたからだ。まだ成熟しきれていない若者にも、自分で判断し、行動する責任と権限が与えられた。数字で優秀かどうか判断される窮屈さがあったとしても、誰もが夢を持ち、酒を飲みながらたわいもないことを語り合えた。そんな毎日が、仕事を現実以上に楽しく思わせていたのだろう。今、目の前にあるリアルな社会をみんなで共有することは大切だ。だけどもしかしたら、まだここにない未来を誰かとシェアし、共に夢を見ることは、もっと世の中を面白くするのかもしれない。

働く動機や夢が、超個人的なものでもいいと思う。私利私欲と仕事を混同したって、自分の夢に共感してくれる人との出会いがあり、新しい何かが生まれたら最高だ。ちなみに僕の夢は将来、プロ野球チームのオーナーになることだ。球場を作り、選手が集まり、開幕戦でスタンドから大声で声援を送るなんて、想像するだけで興奮する。孫やひ孫に「この球団はわしが作ったんだよ」と説明しても、最初は「まさかぁ、そんなの嘘だ」と相手にされないかもしれない。でも、よく調べたらそれが真実だとわかり、「じいちゃん、すげえ!」ってみんなが目を丸くする。そんなシーン、最高じゃないか。僕にとってはその夢の存在が、働くために必要な「黄色いラベルの栄養ドリンク」なのだ。

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