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SHERE THE Real

2 2017 AUTUMN

青井 茂株式会社アトム 代表取締役

疑え。そして、天井を突き破れ。

ひとめで、忘れられないインパクト。サイケでカオスな絵のなかには、よく見るとミッキーマウスやベティちゃんが描かれている。どれも顔が微妙に歪んでいて、すべてのモチーフが曼荼羅のように絡み合い、複雑な世界観を作り出す。シュールレアリズムやサイケデリックアートと評されることが多い田名網敬一さんの作品だが、そんな専門用語などまったく不要と思えるほど、彼の絵は、見るひとを黙らせる迫力に満ちている。実際、それらのキャラクターは、彼が幼少期に体験した戦争のメタファーということだが、たとえそんな説明を聞かなくたって、僕がこの作品から受けたインパクトに変わりはない。僕はこの絵を買うことに決め、コートヤードHIROO1階にある、打ち合わせスペースに飾ることにした。10人くらいかけられるテーブルの、いちばん隅に絵を置いた。会議で行き詰まったとき、ふとこの絵に目をやると新しいアイデアが浮かぶ、ような気がしなくもない。

オーナーを務めるコートヤードHIROOには、3階にガロウがある。僕は昔からアートが好きで、学生時代、バッグパックを背負って海外の美術館を多く巡った。欧州各地の大小様々な美術館にも足を運んだが、なかでも一番衝撃を受けたのは、アムステルダムにあるゴッホ美術館だった。ゴッホが日本の浮世絵に大きな影響を受け、ユートピアとして日本に憧れていたことを知り、僕はものすごく衝撃を受けた。若い頃の僕は、「日本なんてダサい、かっこ悪い」というイメージを持っていた。でもそれが、ゴッホの絵によってひっくり返された感じがしたのだ。アートってすごい。それ以来、僕はアートがもっと好きになった。

確かに、僕はアートが好きだが、難しい理屈はわからないし、「どんなアートが好きか」と聞かれても、とても困る。あえて言うなら、「『描いたひとの頭のなかを覗きたい』と思わせてくれるもの」かもしれない。
田名網さんの絵にしたって、そうだ。一体、田名網さんの頭のなかには、どんな世界が広がっているんだろうとワクワクするし、まったく無名の、たとえば美大の学生が描いた作品に、「すげえな」ってため息をつくこともある。そこにはそのひとの人間性が余すところなく表現されていて、そのリアルな世界観の共有が、アートの価値と言えるのだ。アートは決して、空想世界のおとぎ話ではない。作家の頭のなかを2次元あるいは3次元の世界で表現した、リアルで、本質的で、唯一無二の物語なのだ。

アートは好きだが、僕には絵が描けない。あるアーティストは、「子どもの頃はみんなアーティストだった。私はそれをやめなかっただけ」と言ったが、たしかにそうだ。僕だって小さいときには絵を描いた。音楽も聴いた。自宅の電話の脇に置かれたメモ帳に、適当なドラえもんを落書きしたみたいに、アートは生活のなかにあったのだ。でも僕は、大きくなるにつれてアートを手放してしまった。無限の想像力からアートを生み出すことを手放した代わりに、僕の頭には「常識」という天井が作られた。その常識が邪魔をするから、決まった範囲でものを考えることしか出来なくなった。今の僕がドラえもんを描くとしたら、「ヒゲはこの角度で3本ずつ」とか「頭と胴体のバランスは1:1」とか細かく考えてしまって、ちっとも筆が進まないだろう。でも、大人になってもアーティストであり続けるひとは、頭に天井が覆いかぶさってきても、いつもそれをぶち破ろうとしているのだと思う。僕は、そんなひとが作るアートが好きだ。たしかに、天井の下で生きていれば、雨も風もしのげる。不当に嫌な目にあうこともない。でも、あえて天井を疑って自分の手で突き破り、新しいものを生み出そうとしている姿には憧れと敬意を持つし、僕も業界は違っても、そんな人間でありたいと思う。

不動産の世界にだって、天井はある。無駄を省き、経済合理性を追求した優等生的ビルを造ることも、自分の頭に天井を作る行為だ。そういう建物はきっと、将来、価値がガタ落ちすることもなく、その建物を造るひとも買うひとも、経済性とか収益とか効率とか、いろいろと天井の下で守られている。僕はよく、「このマンションは、将来、価格が上がりますか」と聞かれる。「不動産としての価値は?」とか「建築学的にどうなのか」とか、小難しいことを聞かれることもある。正直、僕はその問いに完璧に答えられないし、そんなふうに理屈で考えて選ぶよりも、「その建物や土地がいいと思うか、もっと素直に選んだらどうですか」と思ってしまう。もちろん大博打な部分もあるから、完全にカンで選ぶことはできないとしても、ひとは世のなかのあらゆるものをすべて感性、言い換えれば、自分の「ものさし」で選択しているはずだ。

ひとは、誰でもものさしを持っている。たぶんこのものさしは、これまでの経験とか歴史とか、育った環境とか受けた教育とか、いろいろなものが素になっていて、そこに「好き」や「なんとなく嫌い」など、感覚的な要素も加わって出来上がったのだと思う。洋服や靴を買うときだって、今晩のメニューを考えるときだって、僕らはたぶんものさしを目安にして、「これはいい」とか「これは、ちょっと物足りない」とか測っている。おもしろいのは、このものさしは常に変化し続けているということで、これがどんどん成長すれば、天井という常識に風穴さえ開けられるのだ。特に、インパクトのある出会いに対して、ものさしはまるでレーダーのように、敏感に反応する。だから僕は、世界中どこにいても朝ランニングして街を探索するし、旅先なら夕食の後は宿までちょっと遠回りして歩いて帰る。何の変哲もない住宅地にちょっとヘンな建物を見つけたり、都会の片隅で突然、歴史ある街並みに出会ったりすると、途端に僕のものさしは動きだす。そして、僕は自分の天井に改めて気づき、それを打ち破ってまったく新しい何かを創造したくなる。

僕は、コートヤードHIROOのガロウに、僕のものさしじゃ到底測りきれない、「すげえな」って驚かせてくれるような作品を並べたいと思っている。そんなふうにガロウを成長させていきたいし、そこにたくさんの人が集ってくれたらとても嬉しい。人間、同じところに定住していたんじゃ、体も心も震えない。だからこそアートに心を震わせてもらい、自分の常識に揺さぶりをかける瞬間は、とても貴重なのだ。そして、できることならアーティストのサポートもしていきたい。ゴッホだって、弟のテオが生活を支えなかったら、あれだけの創作活動はできなかっただろうし、若い頃、僕が大きな衝撃を受けた彼の浮世絵の模写だって、この世に生み出されなかったかもしれないのだから。世界に、みんなのアートを。心に、育ち続けるものさしを。
コートヤードHIROOが、そんな思いを持つ人たちの基地になればいいと思う。

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